学士様の監視


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学士様の伯父様II

学士様の伯父様ソ連のスパイだった
 シベリア科学アカデミーなんて組織があるのかな、と思って検索してみたら次のページがありました。googleにこのような形で残っているとは思いませんでした。すでにコメント欄は閉じられているのでどの記事へのコメントかは分かりません。
渚にて,さん,こんにちは。私の亡き伯父はあなたの伯父さんとは全く逆の運命に立たされました。旧制3高理科を落ちた伯父は旧制大阪高校理科へ進学しました。題名の通り,理科の学生は技術者・医者の卵だから徴兵はされないという噂を信じて……。手塚治虫も同様に意図的な徴兵忌避で旧制大阪大医学部附属医学専門学校(阪大医専)へ進学した一人でした。理数系が得意で戦争に反感を持っていた旧制中学生たちはこぞって旧制高校理科を受験し,競争率は激烈なものだったと言います。私の親父は終戦当時はまだ旧制中学4年で旧制高校受験も可能だったし新制高校2年に編入して英語を復習するかの選択が与えられ,戦争中軍需工場で働かされるばかりの親父は迷わず後者を選び,後に工学部へ進学しました。

ところで,伯父は変わり者で,旧制高校時代のロシア語の成績が抜群でした。それに目を向けられ,2年から3年に上がる1945年3月に赤紙が来て,シベリアのロシア人捕虜の通訳をやれと命じられたのです。工学部へ進学するつもりだった伯父は仕方なく軍部の命令に従い,シベリアへと赴きました。そこで見たものは飢えと日本軍に酷使されるロシア人の姿でした。そして夏,ソ連が参戦するという情報を得ると同時に,ソ連側へと投降したのです。食糧事情も最悪で,自分自身が生き残るためだったのです。当然,ソ連軍側では将校並みのもてなしがされ,反対に捕虜になった日本軍兵士の通訳をすることになったのです。

もしかすると,シベリアでロシア語が分からないために死んでいった日本軍兵士の中には,伯父を恨んでいる人も多いかと思います。しかし,生き残るためには仕方のない選択でした。伯父は生前,シベリアでの話はあまりしてくれませんでしたが,同胞のために身体の続く限りソ連軍に食料や医薬品を要求し,過酷なシベリア開発のための奴隷労働を減らせ,捕虜も労働者だと習い立てのマルクス・レーニン主義で主張はしたよ,と自己弁護してました。ただ,伯父自身も捕虜という立場ゆえ,その後のことを考えて,同胞を見殺しにせざるを得なかったということは暗にほのめかしていました。その証拠にシベリア科学アカデミーにて土木工学で工学博士を取って帰国しました。多くの捕虜の犠牲の上に伯父の研究と栄誉が与えられたのです。その後,伯父はソ連での研究を元にしたある大発明で会社を興し,資本家となったのですが……,これ以上書くと私の素性がばれるのでやめておきます。ただ,この大発明のおかげで,土木工事に革命が訪れた,それは伯父が世話をした捕虜たちの犠牲の上にある,ということだけは言い訳しておきます。

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by 45plus | 2007-08-13 12:10 | kaetzchen