学士様の監視


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学士様の御祖父様は憲兵

南京大虐殺は存在した!
 私の母方の祖父は陸軍憲兵隊伍長として,当時南京にいた。最初は共産ゲリラを殲滅するだけの作戦が,いつの間にか子どもを含む男子の一斉虐殺へと命令が変わっていた。祖父は狂ったように南京市内の迷路を走り回り,戦意を失った日本兵までも殺してしまったという。

 中国側が主張する死者数の「根拠が怪しい」から「事件そのものが捏造」だという非論理的なキチガイの論法は所詮キチガイの戯言であり,数が少々違おうと「虐殺」は虐殺だ。祖父も自分の率いる部隊だけで確実に6000人は殺したと言い遺して亡くなっている。痴呆に陥らず,自らの犯罪と向き合って,過去の負債と向き合って,軍人らしく死んでいった祖父を私は尊敬している。

 という学士様のエントリについてApeman氏が次のコメントを書いている。
[メモ]kaetzchenさんへ
[メモ]kaetzchenさんへ

呼びかけ文の転載ありがとうございました。

ちょっと1点気になることがありますのでご連絡をば。コメント欄で申しあげるのがスジなのですがコメント投稿にはgooのIDが必要で、他に使う予定のないIDをむやみに増やすと管理が行き届かなくなるおそれがあって好ましくないので、こういうかたちで失礼します。

(…)最初は共産ゲリラを殲滅するだけの作戦が,いつの間にか子どもを含む男子の一斉虐殺へと命令が変わっていた。(…)

第二次上海事変~南京攻略戦は実態としても日本軍の認識としても国民党系の部隊を相手にした戦闘であって、「共産ゲリラ」の殲滅が目的ではなかったし、兵士たちの認識としても敵は「共産ゲリラ」ではありませんでした。共産党系の部隊を相手に戦ったのは主として華北の戦場です。また、子ども(女児を含めて)が殺されたという証言は確かにありますが、「子どもを含む男子の一斉虐殺」が「命令」によって行なわれたと言いうるかはかなり疑問です。第十軍の柳川司令官が杭州湾上陸直後に「山川草木、全部、敵なり」と訓示したと伝えられてはいて、非戦闘員をも敵視する戦争の特徴が南京攻略戦にみられるのは確かですが、子どもや老人の殺害は掠奪や強姦などに付随して発生したものであって公式の命令にはよらないものだと考えるのが妥当でしょう(ただし、青壮年男子の連行・殺害については公式の命令によるものであることが資料によって確認できます)。マレー半島では「支那人及英国人は老若男女を問わず徹底的に掃蕩す」という命令が出ていたことを示す文書が見つかっていますが、南京攻略戰に関しては現時点でそれに類する文書は発見されていないはずです。

 さらに上記エントリのコメント欄に学士様は以下のように記している。
# kaetzchen 『ご指摘の通りです。だから,あくまで憲兵伍長だった祖父の証言を入れたのです。つまり,指揮系統が末端では目茶苦茶になっていたのです。祖父も最初は蒋介石殲滅と言われてたのに,後で共産匪賊殲滅と命令され,訳も分からずにとにかく「子どもを含む男子の一斉虐殺」が命令されたのは祖父の記憶では確かだそうです。

つまり,祖父の場合は憲兵隊だったので,ある意味の特殊任務を受けていたのかなと考えることもできる訳です(それゆえ公職追放も長かったですし)。当然,文書記録も全て焼かれて「証拠隠滅」が謀られたのは言うまでもありません。つまり日本軍側に文書記録がないのは「証拠隠滅」のためではないかというのが祖父の遺言でした。』 (2007/02/26 23:19)

 憲兵はそのような命令を受ける機会があったのだろうか?
 この件について態度を留保することにします。
[以下、2/27 01:10追記]
# Apeman『kaetzchenさん

差し出がましいようですが、やはり証言を引用する場合には「史料批判」的な態度が必要になるかと思います。さもないと否定論者にとって格好の攻撃材料を与えてしまうことになります。占領が完了して軍政が敷かれている地域ならともかく、交戦地帯でで憲兵に「子どもを含む男子の一斉虐殺」という命令が出るというのは考えにくいことですし、当時の中国情勢および当時の日本の中国情勢認識に照らしても37年から38年にかけて南京周辺で「共産匪賊殲滅」という命令が(どのレベルにおいてであれ)出るというのは、現代史の通説に反します(より後の時期の、華北ならともかく)。敗戦時に大量の文書が焼却されたのは事実ですが、なにしろ南京は国民政府の首都だったわけですし、南京陥落まで上海派遣軍と第十軍をあわせても 100人に満たなかったとされているこじんまりした所帯の憲兵にそこまで混乱した命令が出るということはやはり考えにくく、まずは「別の時期の、別の地域のことと混同されたのではないか?」といった可能性を考えるのが妥当かと思います。証言は証言として紹介されるにしても、やはり注釈はつけておくべきかと思います。』 (2007/02/27 00:15)

# nomisuke 『こんばんは、はじめまして。
転載先のkaetzchen氏の記事を読んだのですが、Apeman氏の指摘以外にも疑問に思われる点が幾つかあります。
「陸軍憲兵隊伍長」「自分の率いる部隊だけで確実に6000人は殺した」などです。
憲兵とは軍内の秩序を守る、言わば警察であって戦闘の前面には立ちませんし、人数も少なく「戦争用」の装備もありません。
伍長は最下級の下士官であり、「部隊」を率いる事は考え難く、あったとしても精々が分隊(数人~10人前後)規模です。
それで「自分の率いる部隊だけで確実に6000人は殺した」は物理的に不可能でしょう。
事実とすれば、ボルトアクションの小銃と拳銃のみで、一人あたま1千人くらい殺害したことになります。
さすがに「一騎当千」「忠勇無双の皇軍兵士」としても、無理がある数字と言わざるを得ません。

kaetzchen氏が御祖父より聞いた話がその通りであっても、検証無しに記事にしてしまうのは些か軽率ではないでしょうか?
虐殺があったことは事実ですが、極端な誇張(と思われる伝聞)は「否定論者にとって格好の攻撃材料」となりますのでご注意下さい。』 (2007/02/27 01:09)

 学士様、さあどうする?
[以下、2/27 23:00追記]
# Apeman 『nomisukeさん

>伍長は最下級の下士官であり、「部隊」を率いる事は考え難く、あったとしても精々が分隊(数人~10人前後)規模です。

これもご指摘の通りですね。「率いる」ではなく「属する」だったとしても中支那方面軍にいた憲兵の数は百人足らずとされているわけですし。』 (2007/02/27 10:51)


# kaetzchen 『私は「日本史の方法論」は分かりませんが,少なくとも「史料」そのものが生きた祖父だったからには,文化人類学的方法論にて,無文字史料を使うしかないのではないでしょうか?

皆さんの話を聞いていると,文書になった「史料」以外は信用できないと言う傲慢な態度が見え隠れします。私はずっと理科で通してきたため,ホモ・サピエンスという類人猿が「文字」を持った時点ではなく,「言語」を持った時点で「史料批判」が可能な人類学や民俗学の方法論を優先しています。

従って,皆さんの指摘は「ああそうですか,それが何か?」程度にしか聞こえませんし,単なるあらさがしにしか考えておりません。あしからず。生きた証人の遺言がたとえ誇張されたものであろうと,物語の中に含まれた「謝罪の言葉」を最優先に考えるべきではないでしょうか。数字が多少違おうと,2桁や3桁は許容範囲の中です。私の専門で言えば白血球の数のようなものですな。』 (2007/02/27 15:57)

# nomisuke 『>kaetzchenさん
「あらさがし」とは随分な言い様ですね、ですが、歴史の方法論とは、記録や証言の細かい所を一つ一つ検証し、それを足がかりにしてまた検証していく、そういった作業の繰り返しですから、「あらさがし」した集大成が歴史と言えるかも知れません。
kaetzchenさんの挙げた証言は尊重しますが、「あらさがしで検証された歴史」には反しています。枝葉末節ではありません、全てが噛み合わないのです。
ご自分の挙げた証言を事実だと信じられるのであらば、「傲慢な態度が見え隠れします」「ああそうですか,それが何か?」などと揶揄するよりも大事な事があるのではないでしょうか?

あなたの仰る「文化人類学的方法論」とは浅学な私にはさっぱり理解できませんが、「無文字史料を使う」ことは証言を検証無しに信用することでは無いでしょう。
理科を学ばれたのでしたら尚更、観念が先に立った決め付けばかりでは無く、倫理的思考と検証を重視されるべきです。

PS:この問題で扱われる数字は犠牲者の人数であり、「数字が多少違おうと,2桁や3桁は許容範囲の中です。私の専門で言えば白血球の数のようなものですな」ではあまりにも不謹慎に過ぎます。
他者の心を踏み付けにするような事はお控えください。』 (2007/02/27 18:01)

# Apeman 『nomisukeさんのご指摘でほぼ尽きていますが、問題になっているのは「非文書史料の価値」ではなく証言史料に対するkaetzchenさんの態度なのですよ。

>文書になった「史料」以外は信用できないと言う傲慢な態度が見え隠れします。

非文書資料を信用しないなどといった態度を私がとっているかどうか、ここをご覧いただいている方にはおわかりいただけるでしょうからあえて反論もしません。

>「言語」を持った時点で「史料批判」が可能な人類学や民俗学の方法論を優先しています。

しかしあなたは「史料批判」をしていないじゃありませんか、と指摘しているのです。「Aという人物がPと証言した」ことが事実だからといって「Pである」ことが事実になるわけではありません。そして

>物語の中に含まれた「謝罪の言葉」を最優先に考えるべきではないでしょうか。

とおっしゃるならば、それにふさわしい紹介のしかたがあるはずです。』 (2007/02/27 18:25)

[以下、2/28 01:00追記]
# nomisuke 『細かい事かもしれませんが、もう一つ指摘を。

>ホモ・サピエンスという類人猿

ホモ・サピエンスは現生人類つまりヒトです、類人猿ではありません。』 (2007/02/27 23:58)

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by 45plus | 2007-02-27 00:07 | kaetzchen